人は、ごく限られた環境の中でのみ健康を保てるものである。宇宙飛行士の宇宙滞在環境は言うに及ばず、わずかな気圧の変化でさえも重大な結末を引き起こすことがある。

かなり以前のことであるが、ある会社に勤めるA氏は、勤続25年の表彰を受け、特別休暇5日分を得た。思えば入社以来仕事一途に走り続け、ふと気が付くと25年の歳月が過ぎていたというのが実感であったという。

通常、有給休暇を取ろうとすれば、とかく白い目で見られがちな風土の中で、この休暇だけは大手を振って取れるので、学生時代の山歩きを思い出しA氏夫妻は5月の連休に絡めてヒマラヤトレッキングをすることにした。夫人も若いころは同じ趣味であったので大喜びであった。3泊4日のツアーはK旅行社で申し込んだ。出発までに期間があったので、休日にはハイキングに行きながら足腰を鍛えた。

出発の当日、成田へ集合した参加者は半数以上が山登りの経験者でこの種のツアーに慣れている様子であった。

一行は、成田よりJALにて北京に向かい、中国民航に乗り換えて成都に向かって、現地では錦江賓館に宿泊した。翌朝飛行機でラサに向かい、二時間5分後の8時45分に到着した。ラサからはヒマラヤ山脈麓のドヤラ峠までランドクルーザーに分乗して行った。ラサは海抜3,650mにあり、既に富士山頂に近い高さであるが、次の目的地ギャンゼに行くには途中にあるタン峠(海抜5,145m)を越えなければならない。

A氏は既にラサの時点で軽い頭痛を感じていたが、親切な添乗員H氏や、同行の人たちに迷惑をかけないため黙っていた。しかし、高度が増すにつれ不快感は耐えきれないものとなり、タン峠を越えたあたりで、A氏は意識を失ってしまった。急遽ギャンゼ人民病院に運ばれ入院した。H氏より報告を受けた海外旅行保険会社は、最悪の結果を避けるためアシスタンス会社へ対応を指示した。入院治療費の支払いを保証するとともに、医師に状態を詳しく確認したところ、重篤な肺水腫で呼吸困難、チアノーゼ及び多量の泡沫状態のたんが出現、強心剤、利尿剤と共にアルコールを加えて酸素吸入をしているという、重い高山病であった。もっと低地へ運ぶ必要があり、準備をしていたところへ「容態急変」の連絡が入りA氏は死亡した。急遽方針を遺体搬送に切り替え、日本から救援に来たご子息二人と婦人と共に帰国させたが、ご遺族の悲しみは大きく、担当者としてもつらい業務であった。

かつては、相当訓練をした人しか行けなかった高山が、短時間で行けるようになった。しかし、人の限界はどうなのであろうか。ヒマラヤに行く登山隊は海抜700mのラムサンゴから5,350mのベースキャンプに至るまで35日余りをかけているという。それでも若干の隊員が高山病に罹っている。人間の環境適応能力は、我々が考えるよりもかなり低いレベルに限界があるのではないだろうか。

 

今までご愛読ありがとございました。

今後ともよろしくお願いします。

2010/3/25


ページTOPへ

[目次]  まえ

 

 

Copyright(C)2007 Etsuji Sakai All Rights Reserved.